ブッダガヤでは、チベット人ファミリーのディナーにおよばれしたり、出店をひやかしたり、はたまた真剣に買い付けをしてしまったりと、カーラチャクラをさておいてな楽しい3日を過ごしてしまった。宿は敬虔なモンゴルおばちゃん達と一緒だが、窓ガラスなしで布で止めてあるだけの窓の真下に寝るのはもうがまんの限界だった。宿の外にいたホームレスに3日間使ったビニールサンダルをあげると、丁重な礼が返って来た。
そしてオートでガヤ駅に行き、デリー行きの寝台列車に乗る。来た道をまた10時間かけて戻るわけだ。到着は午前5時。カトマンズ行きの飛行機は午後12時30分。これだけあればいくらインド鉄道といえども間に合ってくれるだろう、と思っていたら、2時間遅れの午前7時に着いた。始発〜終着の路線をどこでどうやったら2時間遅れるのか。寝台の相席はタイから来た団体だった。うちの一人は、片言の日本語で去年の3月に日本に行った、と嬉しそうに話す。「日本の女性はキレイ」。ああ、そうですか。「日本の男性は…キタナイ」。正しい単語を操ってはないのだろうが、旅先で相手国を否定する発言はイカンよ。シーンとなってその後の会話は続かず。国際交流はここで終わった。
預けたスーツケースをホテルに取りに行って、空港行きの地下鉄駅にゴー。みなさん、インドの地下鉄はきれい、というかアメリカとか日本の通常レベルの電車みたいですよ。金属部分はまだ光ってるし、時間にだってちゃんと来る。インドの鉄道、外からみると監獄ぽいものね。家畜運ぶ車両に似てなくもないし。
新装相成ったインドの空港にて手続きをすませ、カトマンズはネパール行きのゲートへと歩く。ビルの一番奥の奥だ。ここでなんと新年最初のRNC西日本放送ラジオの生放送を行った。恥ずかしかった。だって「もしもし」で、回りのネパール人全員が一斉に振り向くんですよ。そこで約30分携帯と香川のスタジオを結んでのおしゃべり、なかなか貴重なもんでした。
インドからネパールは本当に近くて、お隣の国。人々の皮膚の色はそのままに、彫は浅く、背格好はやや小さく、服装はどことなく安い感じになってくる。が、ネパールのお得意、ヒマラヤがあるじゃん!、と期待したがこの時期は雲が厚く見えずじまい。5年前とまったく同じ風体の赤レンガ積みの空港に到着し、イミグレで2時間も待たされ、迎えのBデブは待っていてくれるだろうかと心配したが、いた〜!想像より若い〜!想像より小さい〜!想像より黒い〜!
このBデブがニーマナイマのソープを作っているマニュファクチャーのオーナーなのです。創業当初のソープマニュファクチャーとはもうお付き合いがなく、現在、ソープを提供しているのはこの会社。メールで毎日やりとりし、時折電話でも話はするけど、私と彼は初対面。お互いちょっと照れながら、Bデブが合掌でナマステと迎え、私は両手で握手を返したのだった。
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