NYに戻ってから2週間が過ぎました。インドとネパール、マニュファクチャーを巡る旅、忘れないうちに綴っておきたいと思います。
彼らとは毎日メイルのやりとりをしているので、そんなに間隔が開いたとは思っていなかったのですが、もう5年もかの地には行ってなかったのでした。再びのインドの発展は驚くべき!でした。空港、地下鉄、街の装いがこざっぱりとし、あの物珍しそうにこちらを見る男達のまなざしもすっかり消え失せ、なぜかノラ牛も見なくなり、でもインドらしい臭さ、油臭さとか体臭などはそのまま取り残されたように思いました。
ネパールは相変わらず、電気も物もなく、変わってないなあと。インドと対象的でさえありました。
今回の訪問のハイライトは、ブッダガヤにおける年越しのカーラチャクラ。仏教の聖地にて、ダライラマによるhighest teachingが行われました。カーラチャクラは最終日近くになるほど重要なのですが、時間があまり取れず、とりあえず最初の3日間だけになりました。
デリーからの夜行列車に揺られ、なぜか4時間も遅れてガヤに到着。「ガヤは次?」としつこいくらい、車内駅弁販売ボーイに何度も聞く。インド鉄道は到着アナウンスがない。正直そうなインド人、それも複数人に聞くしか情報は得られない。さて、あたりはとっぷりと暗くなり、客引きリクシャが次々と声をかけてくる。事前にNY在住チベット人から聞かされていた「電車の中では荷物にチェーンと鍵を付けておく事(なぜか駅の近くで売っている)。車内ではインド人と話をしない事(なんでよ?)。ガヤからブッダガヤまでオートリクシャで45分。その移動はチベット人と一緒に行動する事(同胞しか信用しないらしい)」は私をびびらせるに十分だった。でも列車を降りたとたん、チベット人達は散り散りにどこかえ消え、見つけた、と思ったら、まったく英語を解さないチベット人は、「ノーノー」と小バエを払うように手を振ってこちらを見ようともしない。何十万人ものチベット人がブッダガヤを目指してんじゃなかったんかい(後で聞く所によると、彼らはチャーターバス移動が多かった模様)。
孤独……。それもインドの片田舎の暗がりで…。ワット数の低そうなぼんやりした電気の下で、リクシャやら物売りやらがうごめいている…。その人達がここぞとばかりに声をかけてくる。どうすりゃいいのサ…。
そこでNYで日々使用している携帯を取り出して、インドにいるはずのチベット人に国際ローミングで電話をかけてみた。インドでNYの携帯はおもしろいように電話がつながるのだった(反してネパールはさっぱりX)。そして電話がつながった途端、「リクシャに料金聞いて」とリクシャドライバーに携帯を渡す。ヒンズー語同士はかくもコミュニケーションがスムーズに行くのだった。かくしてこの一見便利な交渉方法、安心と引き換えに、後になって恐ろしい携帯の請求額が届くのだった。
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