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Saturday, January 28, 2012

インドとネパール、マニュファクチャーを巡る旅 Vol.2/ブッダガヤ

 ブッダガヤには20万とも50万とも言われるチベット人が集まって来ていた。カーラチャクラ会場を中心として沿道には土産物の他、期間中だけのチベットレストランがオープンし、人権団体のブースとか寄付を募る場所などもあり、縁日のようで楽しい。驚くことに中国のチベット自治区からやって来ている人もいて、ほとんど交流する方法はなかったのだけど、どうやって来たのか、どうやって帰ったのか、興味はつきない。元旦初日はインドに大雨が降り、勝手のわからない外国人の私などは、入場パスを作りに並び、ビニールカッパを入手して、外人入り口にさらに2時間並び、やっと入場できたと思ったら、青竹で区切られた巨大テント会場内は広すぎて位置関係がつかめない。ダライラマがどこでしゃべっているのかの方向もわからず、ただ巨大スクリーンと土砂降りの雨をものともせず座っているチベット人達の背中をひたすら眺めていた。
 初日のティーチングが終わり、文化祭のような作りの「レストランラサ」で待って待って待たされてようやくトゥクパをオーダー。店内には小さなテレビ画面でチベット関係のドキュメンタリーが流されていた。何度も見た2008年のジョカンのモンク達の涙の訴え、89年のデモ、関係者のインタビュー、レストランにいるチベット人、みんな食い入るように見る。その後での、チベット人権団体のプラカードやここ最近連続して起こる焼身自殺のニュースサインなどにも立ち止まって見たり、それについて何やら会話をしたりしている。チベット人にとって、それらは他人事ではない。親戚の誰かの問題だったり、遠縁の誰かが逮捕されていたり、知人の誰かがその渦中にいたりする、現在進行形で隣り合わせにある問題なのだから。そして、今回ブッダガヤで行われたカーラチャクラは、彼らの大事な里帰りであり、ファミリーの再会を喜び合う一大イベントでもあった。
 2日のティーチングの後は、同じゲストハウスにいたゲシェGの紹介で、ゲルク派のお寺に行く。その夜はどうも祈祷会があるらしい。ゲシェGと一緒にモンゴルから来たおばちゃん信者さん達と夜道をぽつりぽつりと歩く。田舎道は薄暗いのに、いくつもの車やリクシャが通り過ぎて危ない。それでも大量のチベットのお坊さんが暗い道をスタスタと歩いて行く。おばちゃん達は英語を解しない。かと言ってチベット語を理解する訳でもないけど、とにかくチベット仏教を信じるあまり、モンゴルからここまでやって来た。道行くお坊さんに方角を聞きつつ、30分後、目的地に到着。かなりな大きさのお寺だ。中では500人ほどのお坊さんが読経を上げ、入れないお坊さんは外で座っていた。おばちゃん達に「中、見たい?」とジェスチャーすると、おばちゃん達、嬉しそうにうんうんと言う。入り口にいた年配のお坊さんにその旨お願いしてみる。おばちゃん達、さっそく白いカタを用意し、ルピーも取り出す。やがてひとつの読経が終わり、今度は歌のようなリズミカルなコーラス風お経に変わった。歌詞をつけるとしたら「いらっしゃ〜い。お布施をどうもありがと〜う」と思ってしまったのは…私だけだろう。とにかく500人の男性アカペラコーラスが響き渡る中、一人一人進みでて、お参りをしたのだった。
 5年前のインド&ネパールの取材旅行を思い出す時、シムラのお寺で瞑想したり、お坊さんとヨガについて語り合ったりした、あの清廉な気持ちを5年った今でも色あせることなく思い浮かべてきた。NYでヨガをやっている時、たまに同じような気持ちがわき起こってくる事がある。チベットと、チベット仏教の周囲でいたいと思うのには、こんな気持ちが根底にあるからだろうと思う。
ストゥーパのあたりは大混雑。
クッション敷いて五体倒置大会。
このあたりも大混雑。沿道では数珠売ってたり、
ニセナイキ売ってたり。

慈善団体がサンダルを渡そうとしたとたん、わらわらと
ホームレスが押し寄せ、収集がつかなくなるの図。

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